2009年5月31日日曜日

5/31 Today ボーア戦争終結(1902)

ボーア戦争 - Wikipedia: "ボーア戦争(ボーアせんそう、Boer War、Anglo Boer War)は、イギリスと、オランダ系ボーア人(アフリカーナー)が南アフリカの植民地化を争った二次にわたる戦争。南アフリカ戦争、ブール戦争ともいう。
第二次ボーア戦争(Second Boer War)は、独立ボーア人共和国であるオレンジ自由国およびトランスヴァール共和国と、大英帝国の間の戦争(1899年10月11日 - 1902年5月31日)。長い激戦の末、2つの共和国は敗北し、大英帝国に吸収された。"

昨日ボーア戦争のことを書いたのでその続き。

この戦争でイギリスが「発明」した新兵器が「強制収容所」:
ボーア戦争 - Wikipedia: "1900年6月ごろより、英軍司令官のホレイショ・キッチナーは、ゲリラとなったボーア軍支配地域で強制収容所(矯正キャンプ)戦略を展開しはじめる。これによって12万人のボーア人が強制収容所に入れられ、さらに焦土作戦を敢行。広大な農地と農家が焼き払らわれた。この収容所では2万人が死亡したとされる。"

ゲリラ戦に勝つには、中世の戦争のように皆殺しをしないならば、結局この方法となる。現代では許されない非人道的方法。ということは、現代社会ではテロとの戦い(ゲリラ戦)に勝つことはきわめてむつかしいということ。

2009年5月30日土曜日

GE 買い増し

@13.20 で買い増し。ひどい目にあっているが、これ以上悪くはならない(と思う)。

落ちたナイフがいま跳ね返っているところ。もう二三バウンドあるかも知れないが、とにかくおいらはGE神話を信じている。

配当利回りは実に9.4%。


5/30 Today ジャンヌ・ダルクの火刑(1431)

ジャンヌ・ダルク - Wikipedia: "ジャンヌ・ダルク(仏:Jehanne Darc, Jeanne d'Arc[1], ユリウス暦 1412年1月6日 - 1431年5月30日)は、「オルレアンの乙女」(la Pucelle d'Orléans)とも呼ばれ、フランスの国民的英雄であり、カトリック教会で聖人。百年戦争の際にオルレアン解放に貢献し、シャルル7世をランスで戴冠させ、フランスの勝利に寄与したとされる。コンピエーニュの戦いで捕虜となり、宗教裁判で異端者と断罪され、ルーアンで火刑になった。"


イギリスはいろいろ間違ったことをやって来たが、ジャンヌ・ダルクを焼き殺したこととボーア戦争は、最大の倫理上の間違いであった。でも、ちゃんと反省しているところがエライ。ここ:
5/31 Today ボーア戦争終結(1902)……強制収容所とジンゴイズム(愚民愛国感情)と「食の安全」: "この戦争は、チェンバレンとセシル・ローズ以外の誰にとっても不必要な戦争だ。しかしこの戦争のおかげで。イギリスは世界中から忌み嫌われている。私はイギリスが(百年戦争で)ジャンヌ・ダルクを焼き殺して以来、これほど道徳的に間違ったことをしでかしたことはないと確信する。(ゴールドウィン・スミス)"

過ちを正当化しようとする姑息な態度が一番いけない。

2009年5月29日金曜日

5/29 Today 与謝野晶子が死ぬ(1942)

与謝野晶子 - Wikipedia: "与謝野 晶子(よさの あきこ、正字体:與謝野晶子、明治11年(1878年)12月7日 - 昭和17年(1942年)5月29日)は明治時代から昭和時代にかけて活躍した歌人、作家、思想家。大阪府堺市(現在の堺区)出身。旧姓は鳳(ほう)。戸籍名は「志よう」。ペンネームの「晶子」の「晶」はこの「しよう」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。"

与謝野馨は彼女の孫。

やはり一番印象深いのはこの歌:

 君死にたまうことなかれ

 ああおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ
 末に生まれし君なれば   親のなさけは まさりしも
 親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せと をしへ(教え)しや
 人を殺して死ねよとて  二十四までを そだてしや


 堺の街の あきびとの  旧家をほこる あるじにて
 親の名を継ぐ君なれば  君死にたまふことなかれ
 旅順の城はほろぶとも  ほろびずとても何事ぞ
 君は知らじな、あきびとの  家のおきてに無かりけり


 君死にたまふことなかれ、 すめらみこと(皇尊)は、戦ひに
 おほみづからは出でまさね  かたみに人の血を流し
 獣の道に死ねよとは、 死ぬるを人のほまれとは、
 大みこころの深ければ もとよりいかで思(おぼ)されむ。


 ああおとうとよ、戦ひに 君死にたまふことなかれ
 すぎにし秋を父ぎみに  おくれたまへる母ぎみは、
 なげきの中に いたましく わが子を召され、家を守(も)り
 安しときける大御代も  母のしら髪(が)は まさりぬる。


 暖簾(のれん)のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻を
 君わするるや、思へるや 十月(とつき)も添はで わかれたる
 少女(をとめ)ごころを思ひみよ この世ひとりの君ならで
 ああまた誰をたのむべき  君死にたまふことなかれ。

与謝野晶子






与謝野馨も、祖母に倣って、言葉を明晰にしてほしいな。

2009年5月28日木曜日

NHK:クローズアップ現代「木くずでCO2を減らせ」……ほんとに温暖化の防止になってるのかね?

憂鬱になってしまったこの番組:
クローズアップ現代 NHK:"5月28日(木)放送 新たなエネルギー “木くず”でCO2を減らせ

CO2削減が急務となる中、木くずを利用することで効果的に削減しようという動きが加速している。重油で自家発電していた工場が燃料を木くずから作る木質チップに転換したり、売電専門の「木質バイオマス発電所」も現れるなど、木くずの需要は急増。化石燃料と異なり、木質チップを燃やしても森が成長すれば再びCO2が吸収されるので、CO2排出ゼロと計算されるためだ。"
要は、山林所有者へもっとお金を回せと言う政治的なプロパガンダ番組。こんなことが地球温暖化防止に本当に役に立っているかという科学的な疑問はまるで無視されている。

間伐材を燃やしても二酸化炭素の排出にカウントされないという制度の抜け道をうまく利用しただけの話ではないのか。燃やさなければなおいいという事実はまるで無視されている。そもそも二酸化炭素と地球温暖化の関係や、さらには地球温暖化が何故悪いのかと言うこともまったく棚に上げられて、あるのは環境を錦の御旗として小賢しく儲けようとする農村地主と山林保有者の利益追究精神と、そのお先棒を担ぐ宣伝塔と成り果てたNHKの報道姿勢だけ。毎度のことながら「クロ現」は地主の利益代弁番組でとてもクサイ。気持ちが悪くなる。

そもそも地球は寒冷化に向かっている。インドネシアなんかで一発火山が噴火すれば地球はいっぺんに寒冷化する。何がCO2だ。何が温暖化だ。でも、それで儲けようとする利権集団にとっては「温暖化防止」は絶好のビジネスチャンス。あいつらこそ「利潤至上主義者」ではないのか。

もっと宮脇先生の学べ!

「日本の雑木林はニセモノだ、本来の森に帰せ」(宮脇昭)


5/28 Today 阿部定が生まれる(1905)

阿部定 - Wikipedia: "阿部 定(あべ さだ、1905年5月28日 - 現在は消息不明)は、阿部定事件の犯人。東京市神田区新銀町(現在の東京都千代田区神田多町)出身。"

写真は阿部定逮捕直後のものだという(Wikipedia)。というと周りの男たちは警察関係者か。阿部定も含め全員で笑っているのがいかにも異様。

2・26事件が起こるなど、当時はとても暗い時代だった。人々は少しでも「明るい話題」に餓えていたのだ。

2009年5月27日水曜日

ニッポンの牛肉も、ようやくBSEの危険がなくなった!

喜ばしいことである:
NIKKEI NET(日経ネット):国際ニュース-アメリカ、EU、アジアなど海外ニュースを速報: "パリ=古谷茂久】食肉貿易の安全基準などを定める国際獣疫事務局(OIE、本部パリ)は26日、日本産牛肉のBSE(牛海綿状脳症)の安全性について「リスクを管理している国」に認定することを決めた。国産牛のBSEに関する安全性が国際的に認められたことを示す。これを受けて農林水産省は牛肉の輸出拡大に乗り出す。

 OIEは世界各国で生産される牛肉の安全性を、BSEの発生が無い「リスクを無視できる国」、適切に生産管理をしている「リスク管理国」、その他の「リスクが不明の国」の3つに分類している。日本政府は昨年12月に「管理国」への認定を申請し、同日開かれたOIEの総会で承認された。28日に正式採択される。「管理国」には米国やフランスなどすでに31カ国が認定されている。"
これで、ようやくニッポンの牛肉を食っても命の危険がないと国際機関のお墨付きがとれたのだ。その事実(国産牛肉は危険だったという事実)をご存じでしたか?

それにしても、いままでニッポンの農水省がやっていたキャンペーンはなんだったんだろう? ニッポン以外の牛肉は全部危険だと強引にナイーブな消費者を騙して農村利益共同体の既得権を守るために「地産地消」を強力に進めてきていたのだ。実際はとても危険な食材だったのである。その事実をほとんどの国民は知らされてこなかった。

この危険な国産牛肉が、国際価格の十倍の値段で、これこそ安全だと信じてきたナイーブな消費者に売られてきた。消費者は危険でバカダカイ国産牛肉こそが安全だと信じていままで買わされきたのである。まことにアホらしいことである。

ニッポンの金持ちは、板橋の資産家夫婦のような、元農家の地主ばかりになってしまう所以である。

5/27 Today 日本海海戦「本日天気晴朗なれど波高し」(1905)

日本海海戦 - Wikipedia: "日本海海戦(にほんかいかいせん, 1905年5月27日 - 5月28日)は、日露戦争中に日本とロシア帝国との間で戦われた海戦である。

1905年5月27日午前2時45分[8]、九州西方海域203号地点にて連合艦隊特務艦隊、艦長成川揆大佐指揮の仮装巡洋艦「信濃丸」がバルチック艦隊の病院船「アリヨール」の灯火を夜の海上に発見した。接近して無灯火航行中の他の艦を多数確認し、4時45分、第一報にて「敵艦見ユ」を意味する「タタタタ(実際はタの連送)」で始まる「敵艦203地点ニ見ユ0445」を打電した。

5時05分、連合艦隊全艦艇に出撃が下令された。連合艦隊は大本営に向け「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と打電した。"


「日本海大海戦」と言うから日本海のど真ん中での海戦と思いがちだが、場所は対馬海峡。九州と山口県のすぐ近く:



ヨットレースでもそうだが、海での戦いは地元側が圧倒的に有利。

2009年5月26日火曜日

農村地主はやっぱりすごい!

このニュース:
asahi.com(朝日新聞社):生存中に油? 恨みと金品、両面で捜査 板橋・放火殺人 - 社会: "「おれの飲み代は月300万円と言っていた」"
板橋の資産家夫婦殺人事件。被害者は元農家の地主さんだという。お気の毒だとは思うが、ニッポンのお金持ちは、どうしてこんな人たちばかりが多いのだろうか。

被害者となった奥さまも、深夜、パチンコからのお帰りだったという。

自民党が牛耳るニッポンの農村への利益誘導型の社会経済システムでは、こういう人たちにお金が集まることとなっている。マクロ経済的には誰がお金を持とうと同じことだが、その結果、ヒャクショウと呑み屋とパチンコ屋だけに富が集中し、ニッポンの文化はいよいよ衰退することとなる(文化とはスポンサー次第なのだ)。

ヒャクショウ文化の何が悪いと主張するポリティカリーコレクト論者には、もううんざりである。

「労働組合の強い会社にはお金を貸せない」(吉崎達彦)

今日の「クローズアップ現代」は、めずらしくいい番組だった。双日の吉崎氏が名言を:
クローズアップ現代 NHKどうなるGM~オバマの“再建”戦略~ :"アメリカの自動車メーカー、ゼネラルモーターズが経営破たんの危機に立たされている。アメリカ政府は、5月いっぱいを再建計画提出の期限と決めており、GMは債権者や労働組合との交渉を続けているが難航している。(スタジオゲスト : 吉崎 達彦さん)"

GM社債を持っていた人は、GM株よりはマシだと思って買ったはずなのに、GM株を買ったアホよりも損をすることになる。これはいくらなんでも不条理。吉崎達彦氏の指摘はするどい。

吉崎氏は、ずいぶん前に会合でご一緒したが、頭のいい人という印象だった。三つ子の魂百まで、頭のいい人はいつまでも頭がいい。頭の悪い人はいくら年月を経過しても頭が悪いまま。おいらもいつまで経っても頭が悪いガキのまま。

そういう「ファクト・オブ・ライフ」を前提に、みんな「自分なりの」幸せを追求したらいいのじゃないのかな〜。

5/26 Today 三浦環が死ぬ(1946)

三浦環 - Wikipedia: "三浦 環(みうら たまき、1884年(明治17年)2月22日 東京府 - 1946年(昭和21年)5月26日)は、おそらく日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手。十八番であった、プッチーニの『蝶々夫人』の「蝶々さん」と重ね合わされて、国際的に有名だった。元の名は柴田環(しばた たまき)、次いで藤井環(ふじい たまき)といった。"
余生は山中湖で暮らした。三浦環のお墓は山中湖の寿徳院にある。一度書いた(ここ)。

国際的なプレマドンナだったが、その活動はほとんど海外でのもの。日本では彼女の評価はそれほど高くはないようだ:
三浦環 - Wikipedia: "声質は様々に言い伝えられており、「どこかか細く頼りなかった」とするものや、「どちらかといえば声量は少なかったが透明感があった」とするものがある。また声楽家の藍川由美は自著『「演歌」のススメ』の中でレコード録音された三浦の演奏を聴いて「歌詞の発音や発声法、音程、リズムなど、どれをとってもけっして褒められたものではない」と評し、日本人のなかにある「三浦環 世界のプリマ伝説」に対し疑問を呈している。"

藤田嗣治と同じで、ニッポンでは「国際的に有名」な芸術家は、同業者から妬まれてしまうのかも知れない。

2009年5月25日月曜日

5/25 Today ロバート・キャパが地雷に触れて死ぬ(1954)

ロバート・キャパ - Wikipedia: "ロバート・キャパ(Robert Capa, 1913年10月22日 - 1954年5月25日)は、ハンガリー生まれのアメリカの写真家。本名はフリードマン・エンドレ・エルネー (Friedmann Endre Ernő)。ハンガリー人は姓が名前の先に来るためハンガリー語の発音に近い「カパ・ローベルト」と表記されることもある。ユダヤ系。
スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、第一次中東戦争、および第一次インドシナ戦争の五つの戦争を取材した、20世紀を代表する戦場カメラマン、報道写真家として有名である。"
写真はキャパの「崩れ落ちる兵士」(スペイン内戦、1936)。

20世紀は「戦争の世紀」だった。19世紀も「戦争の世紀」だった。18世紀も、17世紀も…………。人間の歴史は戦争の歴史でもある。

2009年5月23日土曜日

英ガーディアン紙:ネアンデルタール人が絶滅したのは多分人間が彼らを食ってしまったから

科学的な報告ですぞ:
The Observer, Sunday 17 May 2009 How Neanderthals met a grisly fate: devoured by humans : "One of science's most puzzling mysteries - the disappearance of the Neanderthals - may have been solved. Modern humans ate them, says a leading fossil expert.

The controversial suggestion follows publication of a study in the Journal of Anthropological Sciences about a Neanderthal jawbone apparently butchered by modern humans. Now the leader of the research team says he believes the flesh had been eaten by humans, while its teeth may have been used to make a necklace."

肉は食って、歯はネックレスにしたというのが、かわいい。

この学術報告に対して頭の固い人はカンカンになって怒っているらしい。人間に「食人習慣」があったとか言う話はタブーなのである。

『ひかりごけ』を読め。ネアンデルタール人よりずっと最近の出来事だぞ:




これに限らず、人間社会には触れてはいけないタブーが多い。特にニッポンでは「ポリティカリーコレクト」が最優先される。これじゃ科学の進歩はない。

2009年5月21日木曜日

NHK:クローズアップ現代「外食激安バトル」

タイトルからして扇動的:
"クローズアップ現代 NHK節約志向の客をつかめ
~外食“激安”バトル~

いま外食産業の間で激しい値下げ競争が繰り広げられている。牛丼330円、280円均一居酒屋、サラダ・デザート食べ放題で1050円のステーキハウス…。背景に有るのは、100年に一度の大不況のなか、かつてなく高まる消費者の安さを求める声だ。しかし、"激安"が恒常化するなか質の低下などが原因で、客離れに直面するなど、弊害も出始めている。そうしたなか、不況の中でも消費者を引きつける付加価値はないのか、低価格以外の方策を模索する動きも起こっている。"
低価格化は至極もっともな動きだと思う。いままでの食い物屋商売は儲けすぎだったことの反動に過ぎない。ニッポンでは食い物を作る人間がボリすぎなのである。現在の「激安バトル」は、これを正常化する動きだ。

ところがクニヤはそれが不満のようだ。値段だけじゃない付加価値とかなんとか言って、バカダカイ国産牛の安い部位を使う「国産ハンバーガー」の成功例などを紹介して得意になっている。トンでもない。

ハンバーガーは肉の味が勝負ですよ。最上級の肉をハンバーガーにするのである。国産牛というだけで80円も高く、おまけに安い劣等部位を使ったハンバーガーとは、単なる「屑肉」でしか過ぎない。そんなゲテモノはクニヤが食えばいい。おいらは断固、良質の輸入牛肉のファンだ。

「クロ現」はあまりにも政治的(自民党的)。農村共同体の利益を第一に考え都市住民主体の国民の利益を無視する番組ばかりで、辟易する。

5/21 Today 長篠の戦い(1575)

長篠の戦い - Wikipedia: "長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、天正3年5月21日(1575年6月29日)、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万8000と武田勝頼軍1万5000との間で行われた戦い。通説では、当時最新兵器であった鉄砲を3000丁も用意、さらに新戦法の三段撃ちを実行した織田軍を前に、当時最強と呼ばれた武田の騎馬隊は成すすべも無く殲滅させられたとされるが、様々な論点に異論が存在する。"


黒澤の映画「影武者」でのような「カッコイイ」戦ではなかったという。当時の戦では騎馬武者一騎が歩兵の一族郎党を引き連れて行動していたから「騎馬集団」というものは形成されなかったらしい。それに当時の馬も黒澤映画みたいなサラブレッドではなくずっと小ぶり。でも伝説は一旦作られてしまえば、みんなそれを信じるのである。

2009年5月20日水曜日

NHK「クローズアップ現代」:漢字検定事件……ニッポンの固有問題を如実にあらわした事件だった

クローズアップ現代 NHK"検定ブームの火付け役となった日本漢字能力検定協会。その前理事長と副理事長の大久保親子が背任の疑いで逮捕された。協会は収益を社会に還元することが義務付けられている公益法人。にもかかわらず、検定料で潤う協会を“私物化”していたと指摘されている。"

堀田力がクニヤと意気投合していたが、問題の本質は違うと思う。断言できる。「すべての」公益法人は収益の私物化が目的で設立されているのである。漢字検定はたまたま受益者が創業者家族であったのだが、他の公益法人の受益者は「官僚OB」であるという違いだけ。

利益を家族で私物化することと役人の老後の福祉に使うことには、なんの違いもない。公益法人とは、余分な仕事を国民に押しつけ余分の出費と税金をあいつらで配分するための仕組みである。具体的な例を挙げるのは止めるが「公益法人」とはそういうもの。漢字検定協会は官僚OBに利益を配分するのをケチったから摘発されたに過ぎない。それをしかたがないと諦めるのがニッポンでは大人になるための「通過儀礼」とされている。これじゃダメだ。

公益法人は株式会社化するべきである。すべて営利事業とするのだ。儲けることが出来るなら大いに結構。儲からなければ倒産させる。それが公平である。

5/20 Today メートル条約が締結、世界計量記念日(1875)

メートル条約 - Wikipedia: "メートル条約( - じょうやく、仏: Convention du Mètre)は度量衡の国際的な統一を目的として、1875年5月20日に成立したメートル法に関する条約である。14ヶ条の条約本文と附録規定から成る。当時、17ヶ国の代表によりフランス・パリで締結された。現在の条約加盟国は51ヶ国。1921年10月6日にセーヴルで署名した改正条約により一部が改正されている。"


でもいまだにメートル法を使わない国がいる。イギリス製のボートなんか買うとネジが合わないので大苦労する(ここ)。ヨット屋さんに言わせるとフランス製のボートはメートル法なのでとても助かるとのこと。

2009年5月17日日曜日

5/17 Today 團伊玖磨が死ぬ(2001)

團伊玖磨 - Wikipedia: "團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 - 2001年5月17日)は、日本を代表するクラシック音楽の作曲家であり、エッセイストでもある。東京に生まれ、蘇州にて客死した。オペラ、交響曲から歌曲、童謡、映画音楽、放送音楽と、幅広いジャンルを手がけた。

2001年5月17日 平成13 - 77歳 日本中国文化交流協会主催の親善旅行で中国旅行中、心不全のため蘇州市の病院で逝去。戒名は鳳響院殿常楽伊玖磨大居士。"

團伊玖磨は、小生が永井荷風とともに尊敬する人物です。合掌。

小生が作った「パイプのけむり」全巻の総索引を Google Docs で公開します。エクセルデーターベースですがエクセルなしで読めるはず。これは團伊玖磨がどこかで言っていたはずと言う事項を探すのにとても便利です。

「パイプのけむり」INDEX

2009年5月16日土曜日

5/16 Today サミー・デイヴィス Jr. が死ぬ(1990)

サミー・デイヴィスJr. - Wikipedia: "サミー・デイヴィスJr. (Sammy Davis Jr. 、- ジュニア、本名:Samuel George Davis, Jr. 、1925年12月8日-1990年5月16日)は、アメリカの歌手、俳優、エンターテイナー。20世紀のアメリカを代表するエンターテイナーの1人として世界的に活躍した。

ユダヤ教徒とアフリカ系アメリカ人の混血であるがゆえに、さまざまな場面で過酷な人種差別を受けるなど、成功の影で苦労も多かった。

1990年にカリフォルニア州のビバリーヒルズにある自宅で喉頭ガンで死去した。64歳。亡骸はカリフォルニア州グレンデールにある墓地に埋葬されている。"


合掌。

コマーシャルでも:


2009年5月15日金曜日

東京アニス(Tokyo Anis)

カミさんが奢るというので昼飯はフレンチ:
Tokyo Anis- bento.com review: "東京パリ食堂のオーナーが息子に店を譲り、四谷に新しい店をオープンしました。"

なかなかうまかったです。親父さんはまだまだ健在。

とても良質の食事でデザートもよかった。値段の値打ちは十二分にある。四谷に移ったが牛込の「プチ・フレンチ・レストラン」の伝統は途絶えていない。

久しぶりにしっかりバランスのいい昼飯を食ったので晩飯は食わずにすませよう。これこそ究極の「エコ」。

それにしても、この手のレストランというのは、お客のほぼ100%が女性(アラサーというのか)。外に出ると公園で360円のコンビニ弁当を食っている男性サラリーマンがいっぱいいるというのに、彼女たちの財布と胃袋には、敬服。

夕張メロン初競り、二個で50万円!

あらら:
asahi.com(朝日新聞社):今年は2玉50万円、昨年の5分の1 夕張メロン初競り - 社会: "北海道夕張市の特産、夕張メロンの今年の初競りが15日朝、札幌市中央卸売市場であり、最初の1箱(2玉)が50万円で落札された。"

不況で世の中の人もようやく正常心を取り戻したと思っていたら、相変わらずトンでもない人間がいる。

一円を笑うものは一円になく。メロン一個に25万円を払って得意になっている人間には、必ず天罰が下る。たかが食い物にこれだけの値段を払うというのは、グロテスク以外の何ものでもない。

こういう不届きな人間は、神様が許したとしても、おいらは許さない。絶対にバカダカイ果物なんか買わない。

高値で売って消費者からボルのが正しい農業であるとする「ニッポン農業」の象徴的な事例。

愚劣なエコポイント制度に天木大使は怒り心頭

天木大使が怒っている:
[2009.05.15]  いまこそ消費者は決起すべきだ | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ:
  "今日からエコポイント制度なるものが始まると言う。官僚が考えついたあさはかな制度だ。官僚に政策を丸投げする政治家の無能、無責任の証明だ。

 まだ使える自動車や家電を捨て去る事がなぜエコなのか。なぜ一部の大企業の製品の販売促進に加担する事がエコなのか。"

おいらも同感。おまけにエコポイントの引換券の用途の三番目に「地域振興のため」という用途がどさくさにまぎれて追加された。エコはいいことだと信じ込まされている純真な都市庶民の”貧者の一燈”といえるお金は、またしても、エコと逆行する地方の箱物作りのためにむしり取られることになったのである。

今朝の日経「大機小機」子は「現在のエコブームはバブルである」と喝破されている。過去のバブルと同じ。大損するのはバブルに囃されて踊り狂ったアホな大衆投資家。大儲けするのはバブルを演出しブームに乗じてお金を集めてさっさとドロンしたバブルの仕掛け人。今回も巨大で役に立たない「箱物」廃棄物だけが、ニッポンの野山に累々と連なりそうだ。人間はいつまでたっても進歩しないのである。

5/15 Today 高坂正堯が死んだ(1996)

高坂正堯 - Wikipedia: "高坂 正堯(こうさか まさたか、1934年5月8日 - 1996年5月15日)は日本の国際政治学者、法学博士、元京都大学法学部教授。現実主義の論客としてもよく知られた。専門は、国際政治学、ヨーロッパ外交史。

「近代の超克」を唱えた鳥取県出身の哲学者・高坂正顕の次男として京都市に生まれる。大学では国際法学者の田岡良一や政治学者の猪木正道に師事。なお、猪木は「高坂は僕が教えた中では、ピカイチの天才だった」と絶賛している。

肝臓癌のため62歳で死去。その死にあたっては、一大学教授としては異例な数の追悼企画が様々な雑誌で設けられた。また、没後には戦後の言論・現実政治の双方に与えた影響から、高坂自身を対象とする研究も現れつつある。"
常に易しい言葉で話をした。本当にエライ人は難解な言葉は使わないのである。特に国際政治とは、そういう感覚で考えた方が実態がよく分かる。

高坂正堯の著作集が出たとき申し込んだのだが、今見るとなぜか一部欠本がある。古本屋でのばら売りでは法外な値段が付けられているので手が出ない。




前原誠司も高坂正堯の学生だった。高坂の前原へのアドバイスがケッサク。まるで身も蓋もないアドバイスみたいだが、物事の本質とはこういうものなのである:

高坂正堯 - Wikipedia: "京都大学での門下生には中西寛、坂元一哉、戸部良一、田所昌幸、佐古丞、岩間陽子、益田実、中西輝政などがおり、多くの研究者を育成した面でも名高い。また、衆議院議員で元民主党代表の前原誠司も、高坂のゼミナリステンである。前原が高坂正堯ゼミ在籍時に、外交官になるか学者として大学に残ろうか迷っていた際、「外交官は京大出身では偉くなれないし、母子家庭なのでどうか」「学者は天才じゃないといかんが、それほど頭はよくない」「大学院に行くつもりで松下政経塾に行ってこい」とのアドバイスを行い、東京都議会議員であり、のちに日本新党へともに参画する松下政経塾生の山田宏を紹介して、政治家としての道を志すことを決意させた。"

2009年5月14日木曜日

5/14 Today 承久の乱が起こる(1221)

承久の乱 - Wikipedia: "承久の乱(じょうきゅうのらん)は、鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱である。承久の変、承久合戦ともいう。
武家政権である鎌倉幕府の成立後、京都の公家政権(治天の君)との二頭政治が続いていたが、この乱の結果、幕府が優勢となり、朝廷の権力は制限され、幕府が皇位継承などに影響力を持つようになる。朝廷と幕府の緊張はしだいに高まり、後鳥羽上皇は討幕の意志を固める。同年5月14日、後鳥羽上皇は「流鏑馬揃え」を口実に諸国の兵を集め、北面・西面の武士や近国の武士、大番役の在京の武士1700余騎が集まった。幕府の出先機関である京都守護の大江親広(大江広元の子)は上皇に強要され、やむなく京方に加わる。同時に親幕派の大納言西園寺公経は幽閉された。後鳥羽上皇は諸国の御家人、守護、地頭らに義時追討の院宣を発する。"
しかし朝廷は、結局、鎌倉武士団の返り討ちをくってしまうのである。

わがニッポンでは、一旦「朝敵」と名指しされると「朝敵」側が負けるというのが「キマリゴト」。朝敵とされながら家臣側が堂々と朝廷を撃ち破ったというのはこの事件だけではないか。この時の北条政子の名演説が残っている:
吾妻鏡承久3年5月:
"二品禅尼有勢の武士を庭中に召あつめてかたらひていはく、各々心を一にして聞べし。 是は最後の詞也。故大将家、伊豫入道・八幡太郎の跡をつぎて東夷をはぐくむに、田園身をやすくし官位心にまかする事、重恩すでに須彌よりも高し。報謝の恩大海よりもふかゝるべし。朝威をかたじけなくする事は、将軍四代の今に露塵あやまる事なきを、不忠の讒臣等天のせめをはからず、非義の武芸にほこりて追討の宣旨を申くだせ り。(略)恩をしり名をおしまむ人、秀康・胤義をめしとりて、家を失はず名をたてん事をおもはずやと。是をきくともがらなみだにむせびて返事を申にくはしからず。ただかるき命をおもき恩にかへん事ふた心なし。"

古今東西、国家権力を乱用して反対勢力を潰そうとする体制側の試みは、うまく行くときもあれば、逆効果となるときもあるのである。

今の民主党も、政子の演説に学べ。

2009年5月13日水曜日

5/13 Today 「メイストームデイ」:別れ話を切り出す日とのこと

こんなことらしい:
メイストームデー - Wikipedia: "メイストームデー (May Storm Day) は、日本の記念日で、5月13日。別れ話を切り出すのに最適な日、別れ話を切り出していい日、などとされる。
「八十八夜の別れ霜」(立春から88日目ごろに霜が降りなくなる、の意味)の言葉にちなみ、バレンタインデーから88日後に定められている。なお、八十八夜は立春から88日目(87日後)、メイストームデーはバレンタインデーから88日後(89日目)であることに注意。また、バレンタインデーから88日後は閏年には5月12日だが、メイストームデーは平年と同じく5月13日で、バレンタインデーから89日後(90日目)である。"

へ〜。

起源はどうもニッポンのようだ:
起源ははっきりしないが、日本起源であることは確かである。なお、メイストーム自体が、日本起源の言葉である。

なんたる人騒がせな。ともあれ本日が無事に終わることをお祈りします、ご同輩。

2009年5月12日火曜日

断腸亭の写真が見つかった!

明日、葛飾在住の荷風ファンの方々が、荷風ゆかりの地である余丁町を見んとて、連れだって遠足に來られるという。小生もご一緒にとのことだが、おいらは特にご参考になるような難しきことを話せるはずもなく、せめて話の種にもと古き反古のたぐいをひっくり返しているうちに、あらあら驚き、ながらく紛失したと思っていた当時の断腸亭の写真が偶然現れたることこそ、いとめでたけれ。荷風の編集による雑誌「文明」1917年10月号の裏表紙の写真なり(クリックで拡大)。

庭後隠士(籾山仁三郎)の説明によると断腸亭とはこのような建物だったよし:
お城よりは乾の方に当たりぬべし、牛込の片ほとり、余丁町といえるは、近き頃まで、大久保の内にして、都塵もさすがに此処までは及びがたき幽境なり。荷風先生の邸宅此の地にあり。……先生庭中に一廬を結ぶ。……小庵いとみやびたる様になりて、……心ゆくばかり閑寂の趣を尽くされたり。……新盧は六畳敷きにて、入り口の襖を開きて玄関の畳廊下に通ず。庭に面したる二方のうち、一方には梢高みに窓を開き、他の一方は、一間に壁を取り、入り口に向かい合いたる一間を障子となす。……庭よりは土縁の障子を開けて入るべし。

荷風がこの庵を造ったのは大正6年5月。2000坪もある父親の来青閣の土地屋敷は広すぎた上に家庭内トラブルも抱えていた。方丈記の真似をして此処に引きこもったのである。病気の振りをするのが好きな荷風を診断した友人の大石医師の見立てでは腸壁が薄くなっているという。それを聞いた籾山は荷風の腸はそのうち破れるだろうとからかう。それがきっかけで荷風はこの小庵を「断腸亭」と名付け、好きな秋海棠(一名断腸花)を廻りに植えて雰囲気を出す。この年の9月、荷風は41年間書き続ける日記『断腸亭日乗』を起筆するのであった。

その他、余丁町と荷風について「話の種」としてのメモ:
  1. 荷風と余丁町(住んでいた期間):23歳から39歳までの16年間、偏奇館時代(25年間)より短いが、市川時代(12年間)より長い。引きこもり荷風としては社会的活動も活発(森鷗外への師事、ロザリン、イデス、慶応大学初代文学部教授に就任、「三田文学」創刊、西園寺公望の雨声会、パンの会、結婚と離婚、幸徳秋水、発禁処分、父親の死去)。荷風の栄光と挫折の時代。厭世気分の高まり。
  2. 余丁町時代の作品:一番魅力的な作品が多い(?)、『あめりか物語』『ふらんす物語』『珊瑚集』『江戸芸術論』『四畳半襖の下張り(一)』『隅田川』『野心』『地獄の花』『新任知事』『夢の女』『狐』『深川の唄』『監獄署の裏』『紅茶の後』『掛け取り』『日和下駄』『牡丹の客』『矢はずぐさ』『妾宅』『腕くらべ』などなど、社会評論、随筆が多いのも特徴。
  3. 余丁町が荷風に与えた影響:余丁町の特殊性(御家人屋敷町しての余丁町、御家人の没落と困窮化、薩長新興成金と貧民の流入、監獄署、まさに荷風が嫌った明治的カオス)、一方で来青閣の庭には逃避の対象としてのフローラが、外出して社会風俗を傍観者として観察するが、逃げて帰るのはいつも大久保の余丁町、『深川の唄』『監獄署の裏』など、しかし父親に代表されるイエのしがらみからも荷風は逃げたかった、その象徴である余丁町を結局逃げ出すこととなる。断腸亭日乗はそのアリバイ作りのための書物? 売邸は以前から決めていた、二度も「余丁町こそ終の棲家と定めていた」と書いているところがわざとらしい、荷風は自由が欲しかった、そのためのお金が欲しかった
  4. 余丁町来青閣の売却金額は現在価値にしていくらか:大正7年の23000円、消費者物価で見ると現在価値はせいぜい2200万円、でも賃金水準の比較で考えると(当時の人の年収の40年分ぐらいで)今で言うと2億円の値打ちがあった。当時の日本人の感覚ではたいへんなお金。でも渡欧して物価が高い外国でランティエ生活を送ることができるほどの資産ではない、日本で一人なら何とかなる金額、荷風がケチになった由縁
  5. 荷風の「年寄りポーズ(やつし)」の意味は?:日本には「高等遊民」はいなかった、漱石も成れなかった、富豪はいたけれどもみんな忙しかった、荷風は間違いなく高等遊民、妬まれて憎まれた所以、自己防衛手段と煙幕としての「年寄りやつし」、これは余丁町で完成
  6. 荷風の魅力:荷風は実に多様だからいろんな読み方が出来る、最近はやっているキーワードが「老人のヒーロー」、現代日本では高齢者のひとり暮らしが増えている、男ばかりじゃなく女性の「おひとりさま」も、みんなにすがって生きるのが従来の高齢者に求められた姿、そんなの嫌だという人には荷風がたまらない、システムにコミットしていないので傍目八目で先が読める荷風的老人
  7. おまけ:荷風と紫式部、ドナルド・キーンは言った「キーンはあの時代の世界情勢があまりに醜悪だったゆえに「源氏物語」に逃避した、紫式部も当時の道長主導の平安貴族社会の権力闘争があまりに醜悪だったので逃避のために「源氏物語」を書いたのではなかったか」、荷風についてもそれがいえる、日本の戦前戦後の時代があまりに醜悪だったため、荷風は美しい作品と装幀と美しい(と考える)ライフスタイルに逃避したのではないか? 今荷風がまたブームになっている、これは今の時代がまたぞろ醜悪な時代になっているということの表れではないか。

5/12 Today 米よこせデモ(1946)……「地産地消」を強制されると餓死者が出るという例

終戦直後の食糧難はすごかった。多くの人々が飢えて死んだ。この日(昭和21年5月12日)東京世田谷で食糧不足を訴える区民集会が開かれ、その一部が皇居へ押しかける。いわゆる「米よこせデモ(食糧デモ)」である。

国際法によれば占領地の治安維持と非占領国民の生活保証は占領軍の責任となっているが、アメリカはそんなにお金をかけなかったので(ヨーロッパの占領地のようにはお金を投入しなかった)物資が枯渇してしまった。おまけに国際貿易が禁止されたので食糧輸入も出来なくなる。それに乗じて農村部の食糧売り惜しみが発生し都市部の食糧事情は戦争中より逆に悪化した。

そのあたりの事情は野坂昭如の『火垂るの墓』を読めば分かる。親戚に農家を持たない都市住民の間では無数の餓死者が出た。それを繰り返さないために農水族は食料自給率の向上が大事だと主張するが、間違っている。

当時、中南米やアメリカには食糧の過剰生産があり、地球全体でみれば食糧は十分足りていた。終戦直後の食糧難は、自由貿易が禁止されていたことと、それに乗じて農村での大規模な売り惜しみ(ヤミ取引)が発生したことによるのである。

国産食糧だけに頼る「地産地消」は,農村にとっては結構なことかもしれないが,都市住民にとっては餓死を意味するのである。

2009年5月11日月曜日

NIKKEI NET(日経ネット):養殖高級マグロ、食卓に 水産大手が生産を拡大

NIKKEI NET(日経ネット):養殖高級マグロ、食卓に 水産大手が生産を拡大: "一部のスーパーは特売を100グラム約800円と2割程度下げており、すし店などが中心だったが、食卓にも広がってきた。"

それでも高いと思う。おいらは関西人だから、マグロなんかもともと食わない。赤い生肉を生でむさぼり食っている人は、食人種みたいで、キモチワルイ。

マグロを珍重する風潮は所詮バブル。いつかはみんな平常心に戻る。そうするとバブルを前提にマグロの養殖事業に巨額の設備投資をした連中はみんな破産することになる。人間が食える魚をマグロのエサにしてしまったことの天罰だ。是正されるなら、これも世のため人のため。

日経社説:農政改革に消費者の視点と経営感覚を

あまりにも当然の社説。当たり前のことがようやく当たり前に議論されはじめた:
日本経済新聞社説:農政改革に消費者の視点と経営感覚を(5/11): "農地の貸借を原則的に自由化する農地法の改正案が、衆院本会議で可決された。硬直していた農政の根幹にある農地問題に39年ぶりにメスが入り、企業の農業への参入に道を開くとの期待が高い。ようやく芽生えた農政改革の動きである。大きく育てなければならない。

 日本の農業は諸外国に比べて生産コストが高く、国際的に価格競争力が劣る。国内農家を保護するため、農産物市場に高い関税で輸入障壁を設けている。このため消費者に届く食料品の価格は高い。"
でも、まだまだ問題の本質を理解していないナイーブな国民が多い。いいように騙されて言いくるめられてしまう。利権集団は簡単には死滅しない。本当の戦いはこれからである。

続きの全文を掲載しておく:
耕作放棄地をなくせ

 一方、国内の食糧生産は需要に比べて大きく不足している。国民の健全な暮らしに必要な食糧の供給を外国に頼っているのが現状だ。カロリーベースの食糧自給率は約40%と先進国の中で極端に低い。

 日本の農政は病んでいる。このまま改革を実行せず放置すれば、国内の農業は衰退し続け、国民の「食」の基盤が危うくなってしまう。農政改革を農家や農協、農林水産省、政界の農林族など一部の農業関係者だけの問題にとどめてはならない。

 農政改革は全国民の生活の質と日本の食糧安全保障にかかわる国家的な重要課題である。農業関係者のほか消費者や産業界にも、改革の行方を厳しく監視する責任がある。

 既得権益や利権が複雑に絡み合う農政の改革は容易ではない。その難しさは、今回の農地法の改正をめぐる国会での議論に表れている。

 改正案を国会に提出したのは農林水産省である。保守勢力の牙城と目される同省だが、組織内には改革に積極的な官僚も一部に存在する。石破茂農相は、これまで活躍の場を与えられなかった改革派を重要ポストに起用し、農政改革の立案を指示していた。農地制度の見直しはその流れの中から出てきたとみてよい。

 制度見直しの基本は、農地の「所有」から「利用」に発想を転換する点にある。GHQ(連合国軍総司令部)の指導による戦後の農地解放から続いていた、所有者が耕作者であるべきだという「自作農主義」を改め、農地の賃貸の幅を広げた。

 これにより、効率よく農業を営む能力がある人材や法人が農地を借りて、農業に参入できるようになる。高齢化で農作業ができなくなった農家が田畑を農業生産法人などの新たな担い手に貸し出せば、土地の有効利用につながる。

 細分化した農地が担い手の元に集まれば、耕作面積の大規模化が可能になる。農作業が効率化し、生産性が上がるはずだ。全国に約40万ヘクタールあり農地全体の約6%を占める耕作放棄地を減らす一助にもなろう。

 問題は、やむなく耕作をあきらめた農家ではなく、農地の値上がりや転売を見込んで休耕している所有者が賃貸に応じるかどうかだ。税制面で保有のコストが低い農地が、いずれ宅地や商業地、道路などに転用され、高値で売れるという期待を持ち続ける限り、農家は簡単には土地を貸し出さないだろう。

 衆院の審議では与野党の主張で法案に修正が施され、農地の借り手の要件が原案より厳しくなった。農地の所有権の扱いについても、与野党の反対で規制緩和が進まなかった。経営感覚が優れた企業が自ら農地を所有して農業に参入する障壁は、なお大きい。

 与野党ともバラマキ

 農政改革の実現を難しくする構造的な問題がここにある。一部の改革派の政治家や官僚が改革の種火を生み出しても、国会で骨抜きとなってしまう。自民党も民主党も総選挙を意識し、農業票の獲得のために、規制緩和を嫌う既得権者の農協や農家の意向に逆らいにくいからだ。

 現在の自民・民主両党は小規模農家と農協を守る手段で競い合い、農政の基本姿勢にほとんど差はない。現状維持と補助金のばらまきの発想から抜け出ていない。追加経済対策には農林水産関連で総額1兆302億円が積み上げられたが、構造改革とは無縁の項目がずらりと並ぶ。

 貿易自由化を前提とするコメの生産調整(減反)見直しも、高まっていた政官界での議論が尻すぼみになっている印象だ。自給率が下がっているのに、農産物の価格を上げるために巨額の税金を投じて減反を続けるのは、本末転倒ではないか。

 競争力が乏しく非効率なまま国内農業を守り続ければ、不利益を被るのは消費者である。経済危機への対応という大義名分の下で、官僚と農林族による旧来型の密室の政策立案に逆戻りさせてはならない。

 農地法改正だけでは十分な改革ではないが、1つの転機と考えたい。「食」への国民的関心が高まっている今こそ、日本農業の明日を拓(ひら)く農政改革を断行すべきだ。

石破を起用したのは大正解だった。石破一人だけのために自民党政権が続いた方がよいのかも知れない。

5/11 Today 巌本真理が死ぬ(1977)

巌本真理 - Wikipedia: "巖本 真理(いわもと まり、1926年1月19日 - 1979年5月11日)は、ヴァイオリニスト。本名、巖本メリー・エステル。教育者巌本善治の長男である巌本荘民(まさひと)と、米国人マーグリトの間の長女として東京西巣鴨に生まれ、メリー・エステルと名づけられる。6歳からヴァイオリンを小野アンナに学ぶ。ハーフとして差別を受け、病弱だったためもあり、1935年、私立帝国小学校を4年生で中退[1]。自宅でヴァイオリンの英才教育を受け、1937年(38年説あり)、音楽コンクールで一位となり、天才少女と呼ばれる。1942年、英語が敵性語とされたことを受け、真理と改名。1977年、乳癌に罹り手術するが、再発し、惜しまれて53歳で死去。日本初の室内楽定期演奏会94回の偉業を達成した。"

合掌。

妙なことだけ覚えているが、彼女は演奏会の途中で手を休めるとき、ヴァイオリンは顎に挟んだまま両腕だけだらっと下に降ろすかたちで休憩していた。あのポーズは合理的なんだろう。

2009年5月10日日曜日

5/10 Today 探検家スタンリーが死ぬ(1904)

ヘンリー・モートン・スタンリー - Wikipedia: "ヘンリー・モートン・スタンリー(Sir Henry Morton Stanley, 1841年1月28日 - 1904年5月10日)は、ウェールズ出身のジャーナリスト、探検家。アフリカの探検、またデイヴィッド・リヴィングストンを探し出した人物として有名。"

彼はナイルの源流も発見したのかと思っていたら、そうではなかった。いまだにナイルの源流についてはいろいろ議論があるようなのだ。

つまり一般的な認識は:
ナイル川 - Wikipedia: "ナイル川源流を探ることは古代より行われていた。しかし、サッド湿地などの航路の難所を越えることができず、源流は不明のままであった。17世紀頃には青ナイル川の源流がタナ湖であることがヨーロッパ人にも知られるようになったが、白ナイル川については不明のままであった。1858年にジョン・ハニング・スピークがリチャード・フランシス・バートンとともにヴィクトリア湖を「発見」した。バートンは前年に発見したタンガニーカ湖を源流と主張し、スピークはヴィクトリア湖が源流と主張した。この論争を受けて、デイヴィッド・リヴィングストンがこの地域を探検したが、源流の確定には至らず客死し、その跡を継いだヘンリー・モートン・スタンリーにより、ヴィクトリア湖が源流であるとほぼ確定された。その後も、ヴィクトリア湖に流れ込む川の探検が続けられており、ルヴィロンザ川やカゲラ川などが源流とされるようになってきている。真の源流の探索は21世紀に入っても続けられており、2006年にもブラジルとニュージーランドの探検家が新しい源流を発見している。"

ところがこういう報告がある。日本隊が先に(1969年に)これを発見していたとする主張。知らなかった:
2006年の“新発見”は本当か~ナイル水源再考-JanJanニュース: "大ナイルの水源はどこか? 古代エジプト王朝の時代からの関心事は、19世紀の探検家たちによる激しい競争を経て、1969年の早稲田隊の調査でほぼ解明されたと考えていた。イギリス・ニュージーランド探検隊が2006年に「もっとも遠い源流を新たに発見した」という情報は本当に正しいのか、大いに疑問がある。"


これだけたいへんな大発見であったなら、早稲田隊はもっとちゃんとしたパブリック・リレーションをやっておかねばならなかったね。


ともあれ、スタンリーのヴィクトリア湖はナイルの源流ではなかったかも知れないが、誰もがスタンリーがエライと思っている。またリヴィングストンを「発見」して名文句(Dr. Livingston, I presume ?) を残したことも事実として記憶されるのである。功績は広く認知されて利用されてはじめて功績となる。アメリカ大陸はヴァイキングが「発見」したものかも知れないが、誰もその「功績」は認めていない。自己満足だけではダメ。


2009年5月9日土曜日

モモにアブラムシ、スミチオン散布

去年より一週間は早い。暖冬の影響か。スミチオン1000倍液を散布。

二三年前から7リットル手動式噴霧器を使っているが、これは不正解。液が少なくなってくると何十回もポンピングしなくては圧力が上がらないのだ。手動でやるのは4リットル缶が限界だと思う。でも、おいらは運動のためにやっているからいいのだ。

5/9 Today 森光子さんのお誕生日(1920)

森光子 - Wikipedia: "森 光子(もり みつこ、本名:村上 美津(むらかみ みつ)、1920年5月9日 - )は、日本の女優である。京都府京都市出身。血液型はB型。京都府立第一高等女学校(現京都府立鴨沂高等学校)中退。日本俳優連合名誉副会長、フジテレビジョン番組審議委員。紫綬褒章、文化勲章受章。東京都名誉都民。

主な出演作品 舞台 放浪記 (戯曲)
  • 出演回数は2008年12月の中日劇場で1995回、主役を演じた年数45年は日本記録。
  • 2009年5月9日の自身の誕生日、東京・帝劇で前人未到の上演2000回を控える。"

今日で「放浪記」もいよいよ2000回ですか。89歳ですよ。尊敬します。

こんなのが発売されている:



2005年の収録だから、ちゃんと「でんぐり返し」も入っている。ちょっと高いが値打ちあるかも。

2009年5月8日金曜日

曙橋でゴーヤーチャンプルー丼を食った

曙橋商店街の途中から台町坂に上る階段の下に、二軒の「今風」レストランがある。そのうち一軒が最近オーナーが替わり、更に装いが「今風」になってリオープン。今日は「ゴーヤー(5−8)の日」なのでゴーヤーチャンプルー丼がランチだというので、食ってみた。

量はお上品だったけれど、スープ、サラダ、メイン、デザート、コーヒーと続き、なかなかのもの。ゴーヤー丼も四角いシックなお皿に入れて生野菜とともに供せられた。お上品だな〜。テーブルには個展的な写真集もある。

驚いたのは客筋。ほとんど全員が女性でエレガントな装いの「アラサー」(アラフォー?)。曙橋は本来「質実剛健」の街のはずだったが、あいつらどっから出てきたのだろう。ああいう連中は不況知らずみたい。

おいらみたいな年寄りはドキドキしてしまったけど、女性のスタッフのサービスがとても「サンパティック」なので、おじさんとしては嬉しかった。

お店の名前は失念。あけぼの橋商店街から入って手前の方のお店。

5/8 Today 東山千栄子が死ぬ(1980)

東山千栄子 - Wikipedia: "東山 千栄子(ひがしやま ちえこ、本名・河野せん(旧姓・渡辺)、1890年9月30日 - 1980年5月8日)は、大正・昭和期の女優。"




この人の映画は「東京物語」しか見てないが、熱海の海岸のシーンがとてもよかった。合掌。

東京物語 - Wikipedia: "『東京物語』(とうきょうものがたり)は、小津安二郎監督、笠智衆主演の1953年制作の日本映画。白黒作品。日本では1953年11月3日に、松竹の配給で公開された。
独立した子供たちの元を訪れる年老いた夫婦と、それをあまり快く思わない子供たちを通して、家族の絆、夫婦と子供、老いと死、人間の一生、それらをシビアに描いたホームドラマである。核家族化と高齢化社会の問題を先取りしていた。"


アマゾンで見たらとても安い:



2009年5月7日木曜日

住商をまた売って日銭を稼ぐ!

同じことを繰り返すのは能がないとも思うが:
Letter from Yochomachi: 急騰した住商を売り……住商株は初心者向き?: "900円近くまで急騰した住商株の半分を売り。800円を下回れば買い。これを繰り返す。簡単に日銭が稼げる。"

このパターンの繰り返しである。今朝は急に上がったので@947で売り。

うまく行っているやり方を敢えて変える必要はない。今のご時世、日銭で凌ぐのだ。

5/7 Today 品川で捕れた鮫の腹から観音様が(1251)

こんなお話し:
サメのお話48: "東京の品川区南品川に海晏寺というお寺があるのですが、まずはここのお話。時は鎌倉時代な建長3年(1251年)5月の7日。ぺんぺん

品川の海で1匹のサメが網にかかりました。このサメのお腹を裂くとなんと中から観世音菩薩が出てきました。この話を聞いた北条時頼は、お寺を造って祀ろうということになりました。そう思ったのが、時の幕府の執権ですので、南北十二町、東西十町という広大なお寺を作りまして、四海平安の意味を込めて海晏寺という名前をつけました。

「江戸砂子」というのによりますと、このサメを引き上げた場所を鮫浜と呼びまして、鮫頭が崎とか鮫洲崎ともいうとあるそうで、現在、東京の人には運転免許試験場がある場所として知られている鮫洲の地名の由来はこれだそうです。"
そうなのですか。

浅草の観音様といい鮫洲の観音様といい、昔の江戸はとても土俗的だった。

それにしても、陸運局といい運転免許試験場といい、国土交通省関連の施設はおしなべてやたら不便なところにあるのは、理由があるのだろうか。

2009年5月6日水曜日

asahi.com:中国がメキシコにチャーター便 200人帰国させる予定 - 新型インフルエンザ特集

インフルエンザに過剰反応する中国は、やっぱり「後進国」だな:
asahi.com(朝日新聞社):中国がメキシコにチャーター便 200人帰国させる予定 - 新型インフルエンザ特集: "新華社電によると、新型インフルエンザ感染が拡大しているメキシコに滞在中の中国人観光客らを帰国させるため、中国南方航空のチャーター便が4日夜、中国広東省の広州空港を出発し、メキシコに向かった。中国衛生省の防疫専門官や医師も乗り組んだ。メキシコ市とティフアナで中国人の観光客計120人と居住者80人を乗せ、6日朝、上海浦東空港に戻る予定。"

残念なことにこれは中国ばかりじゃない。自称「先進国」ニッポンも同じ。

世界の主要国で新型インフルエンザに感染されていないところは、中国と日本ぐらいなモンだろう。両国とも国民が外国社会への接近を禁止することを建前とした「閉鎖社会」。外来種への免疫がつかないので、いずれは消滅する運命。可哀想に。

MacBook 電源が入らないトラブル

カミさんのパソコンの電源が入らなくなる。困ったことだが、なんとか直してやった。方法:
Apple Portables:SMC (System Management Controller) のリセット: "MacBook、MacBook Pro
  1. コンピュータに電源が入っている場合は、電源を切ります。
  2. AC アダプタを取り外した後、コンピュータからバッテリーを取り外します。
  3. 電源ボタンを 5 秒間押したままにしてから放します。
  4. バッテリーを取り付け直した後、AC アダプタを接続し直します。
  5. 電源ボタンを押して、コンピュータを再起動します。"

あらあら不思議。直ってしまう。

これでいつも「マック廃人」とバカにされている亭主の有り難みも少しは分かったであろう。

5/6 Today 鑑真入寂(763)

鑑真 - Wikipedia: "鑑真(がんじん、鉴真、jiàn zhēn 688年(持統天皇2年) - 763年6月25日(天平宝字7年5月6日))は、奈良時代の帰化僧。日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。

鑑真は四分律に基づく南山律宗の継承者であり、4万人以上の人々に授戒を行ったとされている。揚州の大明寺の住職であった742年、日本から唐に渡った僧栄叡、普照らから戒律を日本へ伝えるよう懇請された。栄叡と普照の要請を受けた鑑真は、弟子に問いかけたが、誰も渡日を希望する者がいなかった。そこで鑑真自ら渡日することを決意し、それを聞いた弟子21人も随行することとなった。その後、日本への渡海を5回にわたり試みたがことごとく失敗した。

752年、必ず渡日を果たす決意をした鑑真のもとに訪れた遣唐使藤原清河らに渡日を約束した。しかし、当時の玄宗皇帝が鑑真の才能を惜しんで渡日を許さなかった。そのために753年に遣唐使が帰日する際、遣唐大使の藤原清河は鑑真の同乗を拒否した。それを聞いた副使の大伴古麻呂はひそかに鑑真を乗船させた。11月17日に遣唐使船が出航ほどなくして暴風が襲い、清河の大使船は南方まで漂流したが、古麻呂の副使船は持ちこたえ、12月20日に薩摩坊津に無事到着し、実に10年の歳月を経て仏舎利を携えた鑑真は宿願の渡日を果たすことができた。

763年(天平宝字7年)唐招提寺で死去(入寂)した。76歳。"

弟子が行こうとしないので自分から率先して日本に行くことを決めた。リーダーはこうでなくてはならない。

鑑真に限らず、宗教家の信念と精神力たるやすごいものがある。信じられないような少人数で艱難難苦を乗り越えメキシコを征服したコルテスの「火事場の千人力」もおおむね宗教心からのもの。おいらみたいな俗人にはとても真似が出来ない。

唐招提寺はとても美しい寺。奈良で一番好きだ。


2009年5月5日火曜日

5/5 Today 屈原が入水自殺(BC278)

屈原 - Wikipedia: "屈原(くつげん、紀元前343年1月21日? - 紀元前278年5月5日?)は中国戦国時代の楚国の政治家、詩人である。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した"

あまり人を信用するものではない。悪い奴は特に信用ならない。ニッポンの利権集団の行動は、いくらきれいごとを並べていても、すべてエゴと悪意に基づくものと考えてまず間違いない。

粽もドラゴンボートも屈原を偲ぶための行事だったとのこと。知らなかった:
秦により楚の首都郢が陥落した事で楚の将来に絶望して、石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺した。後に屈原の無念を鎮める為、また、亡骸を魚が食らわないよう魚の餌としても人々が笹の葉に米の飯を入れて川に投げ込むようになったと言われ、これが粽(ちまき)の由来とされる。

また、伝統的な競艇競技であるドラゴンボート(龍船)は「入水した屈原を救出しようと民衆が、先を争って船を出した」という故事が由来であると伝えられている。

ともあれ、春秋戦国時代は面白い。

2009年5月4日月曜日

5/4 Today 堀江謙一氏が単独無寄港世界一周に成功(1974)

【20世紀のきょう】堀江謙一氏が単独無寄港世界一周に成功(1974・5・4) - MSN産経ニュース: "当時35歳の冒険家が乗った小型ヨット「マーメイド3世号」が大阪・忠岡港に帰港し、276日をかけて単独無寄港世界一周に成功した。岸壁を埋め尽くした約3000人から「万歳」が起こると、日焼けした顔をほころばせ何度も手を振った。「地球は大きく、丸いなあ」と感想。"
髪の毛が黒い!

堀江謙一 - Wikipedia: "堀江 謙一(ほりえ けんいち、1938年9月8日 - )は、海洋冒険家(ソロセーラー・ヨットマン)。大阪市生まれ。兵庫県芦屋市在住。関西大学第一高等学校卒業。アマチュア無線家でもある。コールサインはJR3JJE。

1962年、マーメイド号による西宮-サンフランシスコ間の太平洋単独航海に成功。当時はヨットによる出国が認められなかったため、密出国であった。日本では当初この点について非難が殺到し、犯罪者扱いすらされたが、堀江の偉業が認知されるにつれてその声は小さくなった。なお当時のサンフランシスコ市長には「コロンブスもパスポートは省略した」と、名誉市民として受け入れられている。
「マーメイド」の名は、敷島紡績(現:シキボウ)から、資金不足に悩んでいる際、当社の人魚マークを帆に入れてくれれば、帆を一式寄付するとの申し出を受け、同社の人魚マークが入った帆の寄付を受けた事に因んだ。太平洋横断は秘密だったため、太平洋横断のためのスポンサードではない。

また、1974年には270日余りで単独・無寄港の世界一周を成功させた。これについても、石原慎太郎から『週刊プレイボーイ』上で成功する可能性があり得ないものとして非難され、堀江を擁護する本多勝一らとの論争を呼んだ。"

世間の風当たりはけっこう厳しかった。ニッポンにはPTAママが多すぎるのが問題。

2009年5月3日日曜日

5/3 Today 横山ノック氏が死ぬ(2007)

横山ノック - Wikipedia: "横山 ノック(よこやま ノック、本名 山田 勇(やまだ いさむ)、1932年1月30日 - 2007年5月3日)は、お笑いタレント、元参議院議員、元大阪府知事。兵庫県神戸市出身。愛称は「ピッカリくん」「タコ小僧」「明石のタコ」「ノック先生」。個人事務所のやまだ真企画に所属していた。

1999年12月13日、大阪地方裁判所はセクハラ行為を認定した他、横山の逆告訴や法廷外での発言を名誉毀損であると認定し、女子大学生に対して1100万円(セクハラ訴訟としては過去最高額)の支払いを命じた。その後、12月21日には大阪地方検察庁から強制わいせつ罪で在宅起訴され、知事を辞職した。"
写真は「パンパカパ〜ン」時代のもの。

こういう「事件」は性懲りなく繰り返される。人間(男)とはもともと古来からこういうもんだと考える方が科学的なんじゃないかな。

2009年5月2日土曜日

5/2 Today 夏木マリさんのお誕生日(1952)

夏木マリ - Wikipedia: "夏木 マリ(なつき まり、本名および旧芸名は中島 淳子(なかじま じゅんこ)、1952年5月2日 - )は、東京都豊島区出身の女優、歌手。身長163cm、血液型はO型。豊島岡女子学園高等学校卒業。

1973年に現在の芸名で『絹の靴下』を発表。6月に再デビューすることが決まっていたことから、芸名が「夏に向けて決めよう」→「夏決まり」→「ナツキマリ」となった。妖艶な振り付けやフィンガー・アクションが盛り込まれた同曲は大ヒットとなった。"

あの手招きポーズが見たくて探してみた。見つかりましたよ!

これ:




いつ見てもえ〜ですな。

2009年5月1日金曜日

5/1 Today 「メーデー」

遭難信号: "船舶は遭難して救助を求める場合は、次の各号に掲げる信号を行わなげればならない

  1. 約1分の間隔で行う1回の発砲その他の爆発による信号
  2. 霧中信号器による連続音響による信号 例) 汽笛など
  3. 短時間の間隔で発射され、赤色の星火を発するロケット又はりゅう弾による信号
  4. 無線電信その他の信号方法によるモールス符号の「・・・---・・・」(SOS)の信号
  5. 無線電話による「メーデー」という語の信号
  6. 縦に上から政府間海事協議機関が採択した国際信号書に定めるN旗及びC旗を掲げることによって示される遭難信号……(以下略)"
ところで、この「メーデー」という信号の由来はご存じでした?

こういうことらしいです:
日本船主協会:海運雑学ゼミナール:264 「SOS」の意味は「Save Our Ship」??: "遭難信号としては、その後、無線電話の普及に伴って「Mayday(メーデー)」も採用された。こちらはモールス符号ではなく肉声で発信され、フランス語の「m'aidez(私を助けよ)」に由来する。ただし綴りは、発音が似ていてより覚えやすいMaydayと表記された。"